親を亡くして1年が経った頃、ふと「もう一度だけ話せたらな」と思った。
まだ引きずっているのかわからないけど、なんとなく、毎日がぼんやりしてて、やる気も出ない日が続いてたから。
「このままじゃダメだな」って気持ちもどこかにあって。
そんな時に、「亡くなった人に会える場所」はあるのかな?と思って、いろいろ調べてみた。
そしたら、「故人に想いを伝えられるらしき場所」がいくつか見つかった。
また、実際に「足を運んだ場所の体験談」も兼ねて、書き綴ってみたい。
自分の他に大切な人を亡くして、心のどこかでまだ会いたいと思ってる人が、ほんの少しでも、気持ちが軽くなるキッカケができたらなと思う。
亡くなった人に会える場所5つ
調べたら、墓参り以上に「故人を感じられる場所」が5つほど見つかった。
その中でも、唯一「故人対話ができる場所」があるのだが、まずは一つ一つ紹介していきたい。
出羽三山(山形県)

出羽三山は修験道の霊場で、羽黒山(現在)、月山(過去)、湯殿山(未来)を象徴し、それぞれに深い信仰がある。
とくに湯殿山にある、湯殿山神社本宮では「故人に会える場所」として噂されている。
主要は心の浄化だが、「亡き人とのつながり」を感じられるかもしれないとか。
故人の存在を長く感じたいなら、湯殿山、羽黒山、月山にある神社を順に巡るといいとか。
- 湯殿神社本宮で、靴を脱いでお祓いを受け、神様に故人の名を告げる
- 再会させてもらった故人と一緒に、羽黒山の羽黒山神社にお参りする
- 最後は、月山山頂の神社にて、お別れをする
他にも、ご先祖供養の祈祷も行われている。
熊野三山(和歌山県)

熊野三山は、「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三つの神社の総称のこと。
この三つの神社は、「熊野古道」で結ばれているのだが、特に「熊野本宮大社」が「よみがえりの聖地」として有名みたいだ。
熊野三山は「死と再生、魂の安らぎを象徴」「現世とあの世の境目」「故人と再び心を通わせる場」として伝えられているそう。
実際には「亡くなった人に会える」という意味はなく、「亡き人を偲び、自らの魂を清めるための聖地」として考えるのが妥当らしい。
黄泉比良坂(島根県)

黄泉比良坂(よもつひらさか)は、古事記に登場する「この世とあの世の境界」とされる場所。
亡くなった妻イザナミに会うために、夫イザナギがこの坂を越えて黄泉の国を訪れたが、結局は再会できずに追い返されたという伝説がある。
また、黄泉比良坂は「叶わない切なさ」を象徴する場所として示されているとか。
亡き人と会える場所というより「追慕や供養の思いを込めて向き合う場所」だそう。
また、亡き人への想いを綴った手紙を投函ができる「天国への手紙ポスト」が設置されているそうだ。
六道珍皇寺(京都府)

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は、あの世とこの世の境目「六道の辻」に位置するとされる場所。
古くから「お精霊迎え」の行事が行われるなど、「亡き人の魂を迎える場所」として信仰されてきたと。
本堂の裏にある「小野篁の井戸」が「この世と冥界を行き来した」という伝説がある。
六道珍皇寺は「亡くなった人に直接会える場所」というよりも、「故人を偲び、心で語り合う場」らしい。
恐山菩提寺(青森県)

恐山にある恐山菩提寺(おそれざんぼだいじ)は、死者の霊が集まる場所として古くから信仰されているそう。
境内にある無数の地蔵や宇曽利湖に映る風景が、あの世を思わせることから「死者の世界に最も近い場所」とも言われていると。
どちらかというと、「亡くなった人への想いや悲しみを受け止める心の拠り所」に近いらしい。
しかし、夏や秋に行われる「恐山大祭」で、霊能力を持つ巫女である「イタコ」がやってくるらしい。
イタコは死者の霊を自分に憑依させ、依頼者に言葉を伝える「口寄せ」ができるのだと。
故人対話ができる手段として「これだ!」と思った私は、この恐山に行くことを決めた。
恐山での体験談については、このページで語る。↓
⇒ 【死んだ人に会いたい思いで恐山のイタコに会ってきた体験談】

