哲学&思想

家族って何…と考える時点で何かしらの不満を持ってる

湖にいる、とある家族

 

「家族ってなんだろう?」と言われても、即答できるほど、単純なことではないなぁ。

でも「家族とはいったい…」と考えてる時点で、家庭に対しての不満ストレス、モヤモヤはあるはず。

 

たとえケンカのない家庭でも、何か変に気を遣って、居場所であるはずが居場所と感じられない人もいるから。

「機能不全家族」というように、そんな家庭の中で過ごしていれば、「アダルトチルドレン」となってしまうのも無理もないだろうしさ。

 

そして、どんな家庭に生まれてくるのかっていうのも、運によるし。

大なり小なり、何かしら問題を抱えてる家族のほうが多い世の中だしさ。

「幸せな家族」を遭遇するほうが、レアなケースだからなぁ(ヒネクレ思考)

 

僕の場合、あまりコミュニケーションを取らなかった父親とは他界したけど、なぜか、涙が出ないんだ。

「そうか、もうあの家にはもういないんだな…」という空気感だけが、家に残っている感じなんだ。

 

というか、「幸せな家族」とは何?みたいな疑問もあるしさ。

それについても、ジックリ考えて書き出してみるよ。

 

※哲学的な話なので、「これが一番正しい!」と断言できるものではないから、あくまで一個人の話として読んでもらえればいいと思う。

 

家族ってなんだろう…少なくとも親の望んだ世界から始ったもの

親達が望んだ世界、それは希望だったということ。

ここで言う希望ってのは、「親達の思い描くワクワクした未来」のようなもの。

 

その「思い描く理想の未来」という希望が、家庭を創り、子供を産む。

こんな家庭を築き上げていこうな!」って、、、

 

恋愛でも、「好きな人とあんなことしたいな」…っていう妄想、することあるよね?

だから、家族ができる発端のほとんどは、親達の妄想が原動力となってると。

(例外として、デキ婚みたいな事情や、名家による許嫁などは除く)

 

そのように、夫婦の描いている未来には子供が必要。

子供に希望をかけて、そして子供が生まれ、家族が創られる。っていうのが大半なはず。

でもまぁ、「あんたらの都合に巻き込まれたくない!」って思う子供も一定はいるとは思う。

 

もし、「どうして親は自分を産んだのかわからない」という人は、このページも見てほしい↓

mother-and-baby
「なぜ子供を産むのかの理由」親達の意見12選から考えてみた この記事では、「子供を産む理由」というテーマで書いてみた。 僕は子供の頃、罵声を飛ばす親とケンカばっかり。 ...

 

↑僕が多角的な視点で調べて、ガチで気合入れて書いたから、きっと何かわかることがあるかもしれない。

 

で、夫婦が期待と共に創り上げたい家族の形といえば、

「家族みんなで笑顔で楽しむ光景」
「子供が幸せに楽しく遊んでる姿」
「子供が夢に向かって頑張る姿」
「自分の夢を歩いてくれる子供」

とかとか、様々な妄想があるように、これが子供なしの家庭だったら、心の何かが満たされないんだろうね。

子供が育っていく過程にも、ワクワクするような期待をかけたいから。

 

だから、「子供に幸せになってほしいから」という大義名分も兼ねて、

親は子に「大学は行きなさい」「そんな職業は認めない」と聞くこともあると。

親切とも迷惑とも受け取れる「押し付け」で、干渉してくることだってある。

 

でも、大人になってから、「鬱陶しいと思っていた親の言葉が、今では感謝している」という人もいれば、

もしくは、「やりたいこと否定ばかりされて今でも自分に自信が持てない」っていう人だっているんだけど。

 

「どんな親が良いのか」と言われると一概には言えないけど、、、

「どんな親が良くないのか」なら、結構答えれるかも。

 

「家族って何?」と言われたら、理論的には組織と同じ

家庭と会社は、組織と同じようなもんだなと考えてる。(難しかしい話に感じたらすまない)

それに、会社が箱であるように、家も箱。

家の箱の中にも、組織というものが存在する。

 

家の箱の中なら、単細胞(一人暮らし)か多細胞(家族)という組織があるかの違い。

僕達は、家という箱から、学校という箱から、職場という箱から、コミュティという箱を渡り歩いて生きているわけで。

職場にいる細胞同士にも相性はあるし、家族同士でも相性はある。

 

会社の社長が未来に「目指したい会社の形」があるように、親達にも「目指したい家族の形」があるわけだ。

会社も家族も、目指す未来のためにも、、、まず組織に絶対必要なものがある。

それは、組織として上手く機能させるための、従わせるための、「上下関係」が必要になってくると。

 

社長が決定権を持つように、家族会議においても、父親か母親が最終決定権を持ってることはよくあるし。

もちろん、子供のやりたいことはできる限りさせる。でも制限はつけるけどね。

どんな家庭に成り果てていくかは、決定権を持つ人の「判断力」が大きな鍵になってくると。

 

もし、家族の中に「上下関係」や「家族会議」がなかったら、それはそれで無秩序で、メチャクチャやりたい放題な事態が起こるかもしれない。

家庭の誰かが、何をしでかすかわからないし、

「てめぇ!! よくもわけのわからねぇ家具を勝手に買ってくれたな!」
「相談もせず金の貸し借りして! だから面倒事になってんだよ!」

というように、事が起こっては、家族崩壊の危機にもなりかねるし、人間関係の悪化になるかも。

 

だから、家庭の中でもうまく機能するように、多かれ少なかれ「役割分担」されたり、「制限」をかけたりすると。

人によっては、「家の中のここは自分で掃除しなさい」とか「スーパーでこれ買ってきなさい」とかあるし、

学生なら「宿題はちゃんと終わらせなさい」とか、何かしら命令されることはあるはず。(放任主義の親は除く)

 

親が説教に出てくる「あなたをためを思って」と聞くことはよくあるのだけれど、

それも裏を返せば、「私を困らせないでほしいから」や「私はあなたにこうなってほしいから」という意味も含まれていることも、時にはあるもの。

 

家族の人間だって、わかりあえない部分はある

「育てられていることに感謝しろ!」とか「代わりに苦労している親の有難みをわかれ!」とかそんなこと言われても、、、

どうしても感謝の気持ちが湧いてこないってあるよね。

ほんとに、「どんな親」の元で生まれてくるのかも、運にもよる。

 

どういう巡り合わせで、こんな家族の元に生まれてきたのかも不思議だし。

そういうのをスピリチュアル系の人に言わせれば、

神様があなたを修行のためにその家庭に選んだ」とでも言うんだろう。

 

それよりも、その家庭という組織の中で、どう適応していくのかが問題なんだけど…

やっぱり、中々どうしようもできないことはあるよ。

命令に無理やり従わせて、相手の行動は規制できても「考え」まで変えることはできないというか。

 

アルコール依存症の親に、どうしても酒を止めさせることができないとか…

ちょっとでも些細なことで意見すると、暴力を振るってきて反抗できないとか…

淡泊で冷めた感じの両親を見ていると、見ているこっちが気分が晴れないとか…

 

となるとやっぱり、その親の下に「自分が我慢していればいい」と居座るのか、

もしくは完全に家庭を離れるために、「一人暮らし」か「新しい家庭を築く」かってことになるわけだけど。

 

ただ、「子は親を見て育つ」というように、一人暮らしを始めても、親から受けてきた言葉が心に残ってしまう

それを、これから新しい人と出会って、自分の心の中にあるマイナスとなったものを、打ち消していけるかにかかってくる。

 

心を許し合える、温かみのある家族に出会いたい

尊重、譲り合い、思いやり、兄弟姉妹のえこひいきなし、守りに守られる…

喜んでるときも悲しんでるときも辛いときも、共感してくれる家族、それはきっと、「愛」なんだろうなと。

家族全員が本当の意味で幸せそうにしている光景を見てみたい。

 

そして、お互いに「心配させたくないから」という余計な気遣いも取り除けたら、もしかしたらそれもそれで、幸福な家族かもしれないね。

いやまあこれは、僕の家族になかったものを、求めてしまっていたからなんだなきっと。

 

もちろん、家族も他人である以上、「ほどよい距離感」は必要だということは学んだ。

でも、「今すごく助けてほしいけど、家族でも助けを求めたら迷惑をかけてしまう…」

と、過剰な気遣いをしてしまっては、それじゃ味気のない、組織としての家族になってしまうな。

 

逆に、超過保護の親の場合だと、「子は自信を無くさせ、挑戦する気にもなれなくなる」と言うしね。

子供を育てるのも自分の思い通りに何もかも言うこと聞くわけじゃない。

でも少なくとも、親は子に「親がいなくなっても、一人でも生きれる力をつけてほしい」から、

時には、ほどよい「突き放し」や「挑戦」をけしかけたり。

 

子育ても覚えることが多かったり、思いもよらない事起こったりと色々あるけど、

それでもこの先いつか、「自分の家庭を持ってみたい」と思う人はまだまだ多い。

 

いざ家庭を持ったら、「親から自分がしてほしかったこと」や「子供にはこれが必要だ」と思うことを、子に注ごうとする人は多いと思う。

でもそれが、「子供を尊重する」と言っても、気づかぬうちに「押し付け」となる可能性があるから気をつけておきたいね。

自分の親と同じ、二の舞を引き起こさないために、ときどき、自分の行いを振り返ることだけは忘れないようにと。

 

とまぁ、家族ってなんだろうっていう話はもうこれにて終了。