どうもこんにちは。ここへ訪問してくれてありがとう。
世の中には、「思考」から「嗜好」や「志向」といった、様々な価値観がありますよね。
そう。だから人って、どんなに考え方が似ていてる人と出会っても、微妙にズレてることが多いです。
考え方や行動のちょっとした微妙の食い違いで、イザコザが起こるわけで…
だから、あなたのその「好きな人に殺されたい」っていう思考パターン、
大勢の人に理解されようと頑張れば頑張るほど、ただ疲れる人生になると思う。
無理にわかってもらおうとしなくてもいい。一部の受け入れれる人だけでいい。と、僕はそう思うんだ。
どっかの質問サイトで「好きな人に殺されたいっていうのはどう思いますか?」なんて聞いても、
「理解できません。罪人になる恋人の立場を考えてください」って言われるオチがほとんどかなと。
本当に、恋人に自分を殺させたら、好きな人が刑務所にブチ込まれることや、
恋人の就職道が狭くなることや、資格取得制限の影響とか、家族を悲しませることになる、というのは、
そんなこと、性癖が変わってる人でもわかってるだろうさ。
ではさっそくだけど、このページでは、
その「好きな人に殺されたい」っていう願望が何なのか、について話していこうかなと。
対人関係の心理学を勉強中の僕が、考えられるA、Bの2つの背景を推察して、
最後に、あなたに言えることを伝えて終わりにしますね。
A. 殺されたいと思うこと自体に性癖があるか
幸せな状況にいるにも関わらず、
自分が殺されることを想像するだけでゾクゾクしてしまう人が、稀にいるらしいです。
考えているだけでドキドキする感じが、あるかどうか。
たとえば、「好きな人の顔を見ながら首を絞められ、朽ち果てていく自分を想像していると興奮する…」みたいな。
または、「ロミオとジュリエットが相思相愛の心中という形で、一緒に情死することに憧れる…」とか?
よく「メンヘラか?」と言われそうだけど、そんな妄想をする子も中にはいるらしい。
そうであるとしたら、精神医学でいう性的倒錯(異常性欲)の可能性。
叩かれたり、締め上げられたり性的虐待を受けてみたい思考があるなら、マゾヒズム(被虐性愛)
自分が殺されてる想像をして性的興奮を感じるなら、オートアサシノフィリア(自己暗殺性愛)。
自殺や自傷行為をするなり「死」に対して性的興奮を感じるなら、タナトフィリア(死性愛)。
ちなみにこれらの用語は、Wikipedia内で「性的倒錯」と打ち込むと調べれます。
これら3つの性的倒錯なら、だいたい妄想して終わることが多いので、性的暴行など相手に危害はすることはないはず。
なので精神科に行くと、薬物治療はなしで「認知行動療法」という治療法を受けることになるんじゃないかと。
参考ページ⇒【性的倒錯の治療ガイドライン】
自分の性的倒錯を認知はできても、自分の性的嗜好を完全に変えることはまず難しいのかなと。
やっぱり生まれ持った性格と同じように、変えられない所はあると思う。
自分の好きな歌手とか否定してくる人がいたら嫌ですよね?
なぜなら「好きなものを嫌いになれ」なんて無理だし、
むしろ否定してくる人がいたら対抗してやりたい。それと同じようなもの。
それに人の趣向は様々。生まれながらピーマンが嫌いで、トマトのほうが好きな人に理由聞いても、「なんで?」と思うし。
それ以上追求されてもわからないだろうしさ。
みんな普通のフリして、他人に言えない性癖を持ってる人達はたくさんいる。
だから「好きな人に殺されたい」と想像して、性的興奮を覚える自分がいても自分を責めなくてもいい。
とりあえず、殺されるのはまず無理でも、心の中で留めておくとして、
他に「理想の終わり方」がないか、他のパターンを想像してみるのもいいかもしれない。
B.「別れられないなら好きな人に殺されたい」なのか
次に、性癖以外に考えられるのは、
「酷いことされても彼に対する感情が消えない。どうせ別れられないのなら、このまま好きな人に殺されて終わりたい…」
という人など。あなたの恋人との関係はどうでしょうか。
よくある「DVから離れない人」にあるパターンとして、
「酷いところもあるけど優しいところもある」
「こんな彼でもいつかは気づいてくれる」
「私がいなくなったらこの人は一人で生きてけない」
という考え方にハマっていたりと。。。
それで、どうしても報われない日が来ないなぁと感じたら、
「このまま彼と別れても未来が見えないし、わかっていても情に流されて離れられない。なんならこのまま好きな人に殺されたい。」
というふうに泥沼状況にハマってしまう女性もいる。
…この場合だと、「自分がいないと本当に彼は生きていられないか?」
と、自分なりによく考えてみてですね。
それでもわからないなら、カウンセラーに頼るのがいいのかもしれないなと。
ある女性の友人を担当していたカウンセラーの話によれば、
「この手のシチュエーションは、まずDVされてる本人自身が気づいてもらわなければならない」
と話すぐらいなので、やっぱりカウンセラーと相談するほうがいいだろうなと。
他に夢中になれるものを見つけてみては?と提案

もちろん僕も、自分の命に関して、他人からどうこう言われるのは鬱陶しいと感じる。
自分の命を自由に決めれる権利があるからこそ、自分らしく生きれるんじゃないかと… そう思ってる。
とりあえず今は、「好きな人に殺されたい」というのは、妄想の中でしまっておいてみるか。
「好きな人に殺されたい」とかの願望があっても、その衝動を我慢できるほどなら、
僕から言えるのは、「他の好きな何かに没頭して気を紛らすこと」は、どうだろうと、提案。
好きな人に殺されるのもいい。
もし、他に楽しめることが思いつくのなら、先に楽しむだけ楽しんでからにするのはどうだろうかなと。
(押し付けがましく聞こえてなければいいんだけど)
「好きな人に殺される妄想」だけが唯一の趣味じゃないだろうし、他にも、
「恋人と行ってみたい場所」
「恋人と見てみたい映画」
「恋人と物作り体験」
とかなんでもいい。他に妄想できること、ワクワクすることを楽しんでからでもいい。
別に恋人に限らず、他に自分が夢を見れるものでもいいし。
死んでしまったら、妄想すら楽しめなくなるかもしれない。
何もかも無。孤独。興奮も痛みも喜びもない、無の世界っていうのは…
だって、ジワジワと死にそうになって戻ってきた人(臨死体験)の話によれば、
「死っていうのは、だんだん暗闇に引き込まれていくような感じ。真っ暗で、どこまでも真っ暗で、どこまでも暗闇でしかなかった…」
と、そんなことを話してた…
…僕の心境の話になるけど、やっぱり、
「死ぬ前に未練もやり残したことがないか?」って常に考えるし、
「このまま一方通行で知らない世界に行ってもいいものなのか?」って自分に問いてる。
「もうこの世界で生きていける気がしない」となったなら、話は別だけど。
たまに「死ぬことで自分の人生が始まる」とかいう死生観が変わっている人もいるけど、
僕自身は闇の世界なんだろうなと勝手に想像してる。
それにどうせグダグダ生きるのなら、今楽しめることがあるなら楽しみたい。
躍動感に飢えるときもあるけど、死ぬまでが暇潰し。
本当に楽しいこともないなら、あとは自分の人生をどうするかは、自分で決めればいいと思う。
楽しむことが思いつかないのなら、暇潰しを探しては楽しんで、また探しては楽しむの繰り返し。
何言ってるかわかんなくなってきたけど、この記事を書くのも暇潰しだったかな。
とまぁ長くなるのでここらで終わり。
覚えておいてほしいのは、僕は「好きな人に殺されたい」という性癖思考は、別に否定していないから。
僕の言ったことが、どう伝わってどう捉えたかわからないけど、とにかく、ここまで読んでくれてありがとう。