対人関係の悩み

愛されたいから誰かを愛したいというのは、見返りを求めてしまう

月とカップル

 

あなたは今、愛情に飢えている?

自分を取り巻く人達との関係に、満たされないと感じることある?

ここでは、良い方向にも悪い方向に大きく転がる、恐ろしいとも言える「愛」について語ることにする。

 

愛し愛されて、愛し合いたい…というのは、恋人ができると、誰もが強く望むことだろうさ。

たとえ現実で「相思相愛」が叶わなくても、脳内で好きな人との愛し愛されのシチュエーション妄想だけで済ます人も多いね。

 

だけど、「愛されたいから誰かを愛したい」というのは…

それって、何かしらの事情が影響して、そう思わされている背景があるなと。

 

だいたい「愛」といえば、「愛したい」と思うよりも先に、いつ間にか「愛している」という状況になっているのが、自然の摂理のはずだから。

 

そんな、愛されるために誰かを愛したいと考えるあなたに、

そう思う要因を確認してもらって、これからどうしていけばいいか提案してみる。

とりあえずだけど、できそうだったら実践してみてくれ。

 

誰かを愛して、必要とされることを実感したいんだね

今まで親から注いでもらえなかったものが、あるんじゃないかな。

「頑張ったね」「辛かったね」と、寄り添ってもらえるような… そんな愛情。

 

あくまで一例だけど、たとえば、親はワーカホリックでいつも忙しかったとか…

何かと親の思い通りにいかないと、口を開く時だけキツい指摘ばかり飛ばしてくる。

親の言うとおりに頑張ってるつもりでも、いまだに親に認められない。

 

自分という存在を認めてられていないことで、そのせいで「自分は愛されていない」とも感じてしまうんだな。

 

でも、いつしか期待に応えようとすることに、もう疲れてきて…

親に対しての期待は諦められても、誰かに愛されたい気持ちだけは消えない。

 

だから親ではなく、誰かに愛されたいから誰かを愛したい。

求める愛の正体が「必要とされていること」

それを親に求めていたものが、どこかに他人に求めてしまう。

 

誰かを愛したいとなったら、自分自身がもし親の立場だったら、

「それなりに欲しいものを与えてあげるのに」
「それぐらい辛いことには優しくするのに」
「親から注がれなかったことを大切な人にしてあげたい」

 

と、誰かにされて欲しかったことを与えてやろうと、考えることはよくあるんじゃないかと。

こんな風に、誰かを愛したいっていう動機には、愛されたい欲求とセットになってるんだけど。

 

愛されたいから誰かを愛したい、という考え方について

気をつけてほしいのが、「私があなたを愛してるんだから、あなたも私を愛して」という見返りを求めてしまうこと。

いつか、「この人は私を愛してくれないから、もう愛したくない」っていう考え方に陥って苦しくなる。

 

こんなに愛してるのに、私を愛してくれない」と、数々の別れを繰り返してしまってる女性も知ってる。

いつの間にか、「私がこんなに!」「私がどれだけ!」と、自分視点ばかりにいっぱいいっぱいになってしまって…

「相手はどう思ってるのか?」の視点を考える余裕が無くなってしまうというのかな。

 

それでいつしか、新しい恋人ができる度に、

自分が愛する前に「先に愛してほしい」とか「物足りなさ」を感じてしまう

それが無意識のうちに。

 

だから、自分が愛したいと思っても、自分の愛が飢えていては、他人に分け与えることができないよと。

何かしらの行為で尽くしてあげるけど、同時に求めすぎて、相手に求めすぎてしまう

 

それと、愛するというのは「感じるもの」であって「考えるのではない」というのは、知ってる人は多いと思う。

愛を感じる瞬間って、その相手を好きか嫌いなのか、頭を考えるんじゃなくて、

「なんかわからないけど、この人を大事にしたい、守ってあげたい」とか、そんな感情が湧いてくるもの。

 

といっても、どうしても「喜んでる姿くらいは見せてほしい」とか、無意識にも求めてしまうものなんだよ。

誰かを愛したい人が見返りを求めないというのは、それは母親が子に与える無償の愛くらいだから。

 

自分を愛せると他人を愛せるようになる仕組み

あなたは、自分自身のことを大好きだと言える?

・すぐ投げ出す自分が嫌
・すぐカッとなる自分が嫌
・誰の役に立てない自分が嫌
・人に頼ってばかりの自分が嫌
・人のせいにばかりする自分が嫌
・簡単な手助けもできない自分が嫌

 

まぁ自分自身に対して、嫌だなとか思うことは色々あると思う。

僕だって、100%と好きと言える自信はないけど、ここ数年かけて、自分に対してだいぶ寛容になってきたと思う。

そのように、少しずつでも自分の嫌いな部分を受け入れていけば、他人を愛せるようになってくるはず。

 

「自分を愛せない人間は他人を愛せない」というのは、どこかで聞いたことあるんじゃないかと。

本当の愛っていうのは、見返りを求めない寛容な心があること。

見返りを求めていないと自分でわかるのは、まず言えるのは、モヤモヤしていないとわかる時。

 

モヤモヤしたら、自分自身の中に愛が溜まっていないせいで、自分が与えるより、他人から愛情を求めるばかりになると。

何かを与えようと思っても、自分が愛情を飢えてるから、愛情を注いでやる余裕があるはずもなく。

 

それで「こんなに尽くしてあげてるんだから、喜んだ素振りくらいして!

というような、取引をしてしまっている自分に気付けるかが難しくなってくる。

仕事だと「これだけ仕事をこなしてるのに、これぐらいの給料は欲しい!」というようになるよね。

それは「これだけ愛してあげてるのに、それぐらいの愛情しかないの?」みたいなのと一緒だから。

 

なのでまず、誰かを愛したいという前に、失敗している自分を認めてあげれること。

つまり、自分でできることで、自分の中に「寛容になった気持ち」で満たしてあげる

「なかなか難しいことだから失敗するもんね」
「こんなに疲れてるのに今日はよく頑張ったね」
「どうしても親しい人にヤツ当たってしまうことあるよね」

 

という感じに、自分自身をヨシヨシと労わってあげてみようと。

そう思っていくことで、締め付けていた糸が緩んでいく感覚を感じれるはず。

 

とはいっても、「そう簡単に自分を認めてあげることができそうにない」って感じることもあるかもしれない。

まぁ確かに、無理に嫌な自分を全てを受け入れようとしなくてもいい。

自分が苦しまない程度に、「これぐらいなら許してもいい」と思う部分から認めていってあげればいいと思うよ。

 

小さな親切から積み重ねてみよう

それと、誰かを愛したいのが今すぐできなくても、恋人に限らず、

小さな親切をして、良い事をしたと実感することで、わずかながらでも自分で自己肯定感を高めれるよ。

 

自分が余裕がある範囲内で、小さく親切をやってみよう。

小さくても、自分自身の中にポジティブなエネルギーを蓄積していけるから。

親切をすることで、気持ちの余裕が生まれて、頭の働きが良くなると脳科学でも証明されてるから。

 

たとえば、よくある軽い人助け。

・電車でお年寄りに席を譲ってあげる
・セルフレジで困ってるお年寄りを手伝う
・レストランで食べた後の食器を持っていく
・横から入りたがってる車を譲ってあげる

 

といった、小さな親切をやったときに、「ありがとう」と感謝を言われたら、ちょっとでもいい気分になれるんじゃないかと。

 

生活費ギリギリでカツカツな人が、1,000円も募金するなんてできないけど、数十円くらいならできるだろうという感覚で。

それこそが、自分で自分の愛を貯めていくのにも最小の労力でできる方法。

 

なお、誰も見てくれないとしても、「ありがとう」と言われなかったとしても、せめて「自分って偉いな」と自分自身に言ってあげよう。

自分のことを「偉い」とか言うなんて、傲慢っぽくてイヤだと思うかもしれないけど。

でもその時に、認めてほしい自分を満たしてあげる自分しかいないから。

「やってあげて相手から何かを得る」じゃなくて、「やることができた自分を褒める」ことをしてあげるのが大事。

 

ちなみに、こうした小さな積み重ねを「毎日何か良いことしなくちゃ」と考える必要ないよ。

週一回くらい、誰かのためにできることやってみるだけでもいいんだ。

 

あとは余裕が出てきたら、ボランティアをやってみるのもオススメ。

ボランティアこそ、愛し愛されの大きなヒントになるはず。

 

「誰を愛したいのか?」というよりも、

自分が「こんな人のため」「世間で困ってる人達」に何かをしてあげたいという目的が見つかるかも?しれないから。

愛というのは、恋人や家族やペットに限らず、「世間の人達に対する愛」というものも含まれるから。

 

ただ、無理にボランティアだと、感謝という見返りを強く求めてしまうこともあるかもしれないから、そんな時は無理にやらなくてもいい。

本当に愛に満たされて余裕がある人は、「良い事ができて(無事完了)本当によかった」とわかるだけでも、自分で自分を満たしてあげれてるんだってさ。

だから本当に余裕があるなら、でいいんだよ。

 

以上が、「小さな親切をしてみよう」ということが、提案だった。

ここまで読んだら、自分なりに、どうしてみようか考えてみてほしい。