不幸な出来事が起こった直後は、なかなか現実を受け入れられないものなんだよ。
よくあるのが、「こんなことになるなんて思ってもいなかった」と。
人は、いざ「当たり前であるはずのもの」を失ったとき、ようやく「失いたくなかったもの」に気づくっていう。。。
もしもそんな状況になったときの「どうしようもない気持ち」をどうしたらいいか。
自分なりに、現実を受け入れられない人のために、辛い状況を乗り越えていくための心構えを考えてみました。
現実を受け入れられないのはなぜ?
とくに突然の出来事。
「親が突然亡くなった」
「ペットが突然亡くなった」
「恋人にいきなりフラれた」
「やってはいけない過ちを犯してしまった」
「失敗しないはずが失敗した」
「負けるなんてちっとも思ってなかった」
とかとか思ってもなかったこと、色んなシチュエーションで言えることです。
でも自分で何となく自覚してる場合はどうでしょう。
・「最近恋人と上手くいってなくて、別れるかもしれない」
・「長年ニートでもう選べる仕事がない」
というような感じなら、まだいくらかダメージが減るんですが。
時間と経過と共に、自分でも状況を何となくでも把握しているから。
でもやっぱり、心の準備もなく起こってほしくなかった現実が、起こってしまったら。
そりゃ辛いし、目の前にある現実を目を向けたくない、「いや夢を見てるんだな」って、否定したくなります。
誰だって、
「できるのなら、その出来事をなかったことにリセットしたい」とか、
「できることなら、今すぐ過去に戻ってやり直したい」とか、思いたい。
人間ってだいたいは、
「当分はこの状態が続くんだろうな」とか、
「そんなこと起こるはずない」って、、、そう思いながら毎日を過ごしている人が多い。
じゃあ受け入れがたい現実が起こった時どうすればいいか、
4つの心がけを書いときます。
1.無理をしないで休めるなら休む
望んでいなかった事件が起こった瞬間は、もちろん頭の中は真っ白に。
「いやこれは夢を見てるんだろうな。ハハハ」とか。
現実を受け入れられないのは、防衛本能として受け入れたくない。
そういうことだから、休養取れるならまず休みましょうってことで。
「まぁ自分はそうなることはないだろう」と思ってたのが、
「まさか自分がね。。。」、「まさかこんなことがあるはずがないよね。。。」、
「これからもこの人と一緒に、ずっと、生きていくんだな」と思ってたのが、「え、何が起こってるの?・・・」。
だから余計にショックが大きい。そう思うのは無理もないこと。
辛い現実を受け入れたくなくて、わざと、必要以上に忙しくして、考える時間を作らないようにしてる人もいます。
現実を考えないようにしてるだけで余計に辛い。
それもいいけど、いつものやらなきゃいけない仕事も休んで、
少しずつ自分の頭の中を整理していったほうがいいかな。
病気やケガの理由で休日を取るように、精神的なダメージも休んで回復に専念しないとです。
責任ある仕事を休めないというのなら、どこかで手抜きしながら過ごす。
そして、辛いと思ったことは誰かに口に出していい。誰かに甘えたっていい。
辛いと思う時こそ、誰かに口に出して、思いっきり泣いてスッキリしてもいいから。男だろうと女だろうと。
人間なんだから、ロボットや車のように一定に仕事できるわけじゃないから。
起こってしまった現実を受け入れるのには、時間がかかるもんだと思って、ゆっくり休んでください。
2.「もう人生終わった」とは思わないように
人生が終わったというのは?
僕が思うに、余命数週間とか、闇金金融からお金を大量に借金したり、車で人を轢いて命を絶たせてしまったというのは確かに、やりたいことももうできないなって。。。
「受験や就職が失敗した。底辺ながら生きていくハメに」っていうのは、これから生き地獄なんでしょうか?
いや、牢屋に一生閉じ込められない限り、自分が幸せになれることや成し遂げたいこと、色々なチャンスはまだまだあるはず。
自由に動ける身である以上はさ。
「何がどうなれば自分が幸せになるのか」にもよるけど、
夢を失ったり追えなくなったらで、それもそれで現実を受け入れるのに時間かかるだろうけど。
それならそれで、色んな人に出会いながらも、他に楽しめることを探していけばいいんじゃないかな。
ただ、「一生この人だけ!」というような、心に誓った愛する人を失ったしまったっていうのは、、、それはわからない。
それはもしかしたら、時間だけが少しずつ、失った心に働きかけて、気持ちをなだめてくれるのかもしれないし。
とりあえずだけど、気の合う仲間と一緒にワイワイでもできれば、一時の幸せぐらいは、一つや二つと感じれることあるだろうさ。
3.自分に必要なことだったと思ってみる
人を車で轢いたとかの「取返しの付かないことをした」以外は除いて。
戒めにもなるけど、「自分で失敗だとわかったこと」ってことが気づけたことだけでも、全然救いになるし、これからの人生のタメにもなるはず。
失敗したり失ったりして、何かに気付いたというのなら、それもそれで自分自身が進歩したってこと。
だからあえてポジティブな視点で考えてみる。
次に同じような過ちは、きっとしないはずだからさ。ね。
逆に言えば、もしあのまま事件も大喧嘩も起こることもなく、そのままズルズルと何も進歩もない日常を過ごしていたとするなら、
遅かれ早かれ、似たような事件が起こってしまうだろうから。
自分が気づかないまま、相手にストレスを与え続けている人生を送っていることもあるし。
それでいつの日か、「なんで相手は話しかけなくなってきたんだろう」って。
加害者じゃないと思ってても、実は加害者になってたりするような。
もっと言えば、運よく災を逃れ続けてても、後々もっとヤバイ事件を、いつの日かの未来に起こしていたかもしれない。
良いことも悪いことも、早めに経験してよく考えて、
「自分にとって必要なことだった」と思えば、少しは前に進める感じはしないか・・・な?
4.これからのプランを少しずつできることから考える
起こってしまったことに、泣いても笑っても、過去は何も変わってくれないのは、それは誰だってわかるけど。
でも傷があんまり大して癒えてないときに、「さぁ次を考えろ!」って無理やり引っぱり叩かれても嫌ですもんね。
なので気持ちが大分落ち着いてきたなって感じてきたころに、無理ないのプランを考えていこうってことで。
「一体何がダメだったのか」がわかるのなら、それをこれから、どのように対応していくべきかもわかるはずなので。
今の現状を判断して、できることから少しづつ進めていく。
当たり前に思う人もいるかもしれないけど、やっぱりこれに限ります。
何もない白紙の地図に立たされてるわけではないさ。たまたま行き止まりにぶつかってしまっただけさ。
迂回してでも、最終的に自分の行きたい場所に辿りつければいいのだから。
「計画も立てるのも大事なのはわかるけど、人生は思い通りに行かないんだよ」って、
確かに誰だって挫折して、もうダメだ終わりだって思ってしまいますね。
どんな問題に何度も直面しても、その度に計画を修正していったり、上手くいかない原因をゆっくりでも考えて進めていければと。
それでも、「もうこれからどうしたらいいのかすらわからない!」っていう、
もうダメだって、奈落の底に落ちたままでいますか?
その、「どうにかしたいんだけど、どうしたらいいのかわからない!・・・」という気持ちが少しでもあるのなら。
【追記】透視を受けて、これからどうするべきかの助言をもらうとか
「これからどうしたらいいのか、、、辛くて辛くて、今でも苦しい」っていう気持ちを解決する手段の一つとして…
透視占いを受けてみてはと、いいんじゃないかなと思った。
色々なカウンセラーに相談してみたけど、ダメだったなら…というのなら。
透視というのは簡単に言うと、過去に起こったことや未来に起こりそうなことを、超感覚で捉える第六感のこと。
霊視・透視占いをやってる占い師が言うには、遠くで起こっている出来事のような感覚で、頭の中に映像で入ってくるようなイメージなんだそうで。
例えば、「恋人にフラれた現実を今でも受け入れられない」っていう場合なら、
透視で相手の気持ちを知ってもらい、結果を伝えてもらえるので、それで今後の復縁を期待できるのか、それとも完全にもう無理なのか、、、
自分自身に踏ん切りをつけるために、占いを受けてみるっていうのもアリじゃないかと。
僕自身も、奈落に底に叩き落されたときは、
「こんな自分に、これから転機がやってくるのか」とか、「これから彼女とはどうしていけばいいのか」とか一人で思い悩んでて、
「もうこの際、占いを受けてみるか!」って決意したんですよ。
で、透視ができる占い師に相談してみて…
「一年後には彼女さんと仲良く暮らしている未来が見えます。なので、今のままコツコツ努力されていけば問題はないですので。」
という助言を信じて、コツコツと前に進んでこれました。
今ではスローではありながらも仕事の成果も出て始めてきたことだし。
彼女と一緒に住めるっていう見通しも見えてきたから、ともあれ、これも「前向きな気持ちでいられたおかげだな」って思えたのが強い。
という感じだから、叶わない夢だとわかってるけど現実受け入れられないとか、今もモガいたままでどうしようもないというのなら…
透視ができる占い師に一度相談をしてみるといいかもしれない。
それじゃ、そろそろ締めに入ります。
最終的には占いなんかに頼らないで、自分自身で物事を判断して、乗り越えていける力をつけていってほしいなぁとも思ったりもするんだけど。
愛する人がいるなら、向き合いながらよく話しあって、どうやって支えあっていく環境にしていくのかとか。
なんかまた説教くさくなるのも嫌だから、ここでお終い。
ではでは。